ベロンベロンに酔った次の日全く記憶にないという人がいる。
私も断片的にしか覚えていないことがあるので、酒で記憶をなくすというのがどういうことかはなんとなく理解できる。
ふと思ったのは次の日記憶をなくしてしまうのは不幸なのか否か。
楽しい酒の席だった場合、
記憶をなくさなかった人は当然その場(過去)も楽しいし、(現在)思い返した時も楽しい思い出を反復して体験できるわけだ。
一方記憶をなくしてしまった人はどうか。
その場(過去)は楽しかったとして、(現在)思い返す楽しい思い出がないという点では損しているのだろうか。
酒の席で粗相してしまった場合はどうか。
その場(過去)の時点では楽しい/反省しているかもしれないが(現在)思い返す感情も状況もないのだから無害である。
結局、酒の席で記憶をなくしてしまう人は基本的にその場(過去)では楽しんでいるし、仮に(現在)思い返すことができなくても、
思い返す時間を使って別の思考をしているとすると、記憶をなくしてしまっても損ではないと思う。思い返している時間は(現在)進行系の思考ができないし、(過去)追体験をするか、(現在)進行系の思考をするかどうか、時間の使い方は人それぞれだ。
これは何も酒の席に限った話ではない。
例えば楽しい旅行の思い出だ。大抵の人は旅行という非日常で楽しい体験は鮮明に覚えていると思うが、当時の記憶を100%覚えているわけではない、100%思い返すことはない。そんなことをしていたら(現在)時間を過去の追体験に全て費やすことになってしまう。
もちろん断片的に思い返す楽しい思い出が多いに越したことはないが、
結局それは(現在)楽しく過ごすことができるかに依るのではないかと思う。
そうすると(現在)健康で自由に使える時間がある程度あれば、(過去)の記憶をどれだけ覚えているかどうかは(現在)の幸せ度には影響はさほどないと考えられる。
一方、(現在)何かしらの健康上の問題や、自由な時間・お金がなかった場合、(現在)を十分に楽しめないとする。
そうすると(過去)楽しかった思い出を追体験できるかどうかは重要な問題となるかもしれない。(もちろん、脳内で妄想や想像にふけることができればそんな必要はないかもしれないが、例えば年老いた自分がクリエイティブ老人になっている想像は難しい。)
楽しかった思い出を追体験できる方が良いとすると、少しでも多くの思い出を思い出すことができるように写真や文章に残しておくことはある意味将来への投資となる。
だから楽しい時間を過ごすときは、お土産を買ったり、写真を撮ったりして残しておいた方がいいし、その時間を他人と共有していた場合は、そのようなものをあとでまとめてプレゼントにするといいのかもしれない。
そういう点でおすすめなのがしまうまフォトプリントだ。
スマホでとった写真を選択するだけでアルバムブックにしてくれる。これで最近の旅行の思い出をフォトブックにして実家に置いてある。両親や私の老後の楽しみの1つになってくれるはずだ。
話が逸れたが、
結論、お酒を飲んで記憶をなくす人は無くさない人に比べてちょっとだけ損している。