toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

転職

今の仕事をずっと続けられる気がしないので転職サイトに登録した。

他職種について見てみたが、パッとみてなりたいなという職種はあまりなかった。

なんとなくだけれど、提示された合いそうな職種ではなくて

自分で本当になりたいと思った職種じゃないと転職しても意味がないような気がした。

 

一方で今のような無理な働き方をしたくない。

つまりホワイトな時間帯に働けるのであればそこまで興味がない仕事でもいいのかもしれない。空いた時間を使って別の生活基盤を作るような活動をすれば良い。

 

それがなんなのか。わからない。

イラストレーターとか、小説家とか、本職でなくていいから趣味でやりたい所である。

こころの調整日

残業が実質100時間を超えた。

裁量労働制なので残業という概念がないようなものだが、定時と言われる時間帯にプラスで働いている時間が100超えだ。

ここ3週間土日も働いた。限界だった。もう頑張れないし、頑張ってここまでのアウトプットパフォーマンスなんだから解放してくれと思った。

 

本土日は精神的にも体力的にも限界なので、休むことにした。土日だから土日をしようと思った。

転職や今後の仕事について考えたいのだが、なにぶん目がすごーくすごく疲れてしまったのでパソコンをじっと見つめるような作業は一旦見送りだ(記事を書くのはそんなに時間がかからないからよし!)

 

朝起きてスムージーとラムレーズンパンを食す。美味しい。パン避けてたから美味しい。

洗濯をして軽い筋トレをして炊き込みご飯と鰤キャベツの味噌汁を食す。美味しい。日本の昼ごはんだ。

そしてカルディでチョコレートと紅茶を買い、本屋や雑貨屋さんをぶらぶらした後1人でイチゴガトーショコラクレープを食す。

チープな味だが、これはこれで美味しい。

最近仕事しながらご飯と味噌汁と…を食べる毎日だったので久しぶりにこういう荒れた?食事をした。

 

そして仕事パソコンを見ずにクレープに集中できたことが何より外で食べてよかったことだ。

 

こと後食べたカロリーを他人の手を借りて帳消しにすべく、エステへ行く。

(いや本当は朝起きて肩と首と足が凝り浮腫でしんどかったから予約したんだ。)

 

そのあとは美容院だ。

縮毛矯正とトリートメントをする。

 

なんで充実した日々なんだろう。

最高だ、サラサラの髪で家に帰ってまたご飯食べてお風呂入って本を読んで寝よう。

 

百田尚樹の日本国記が途中なので読み切りたいが、シドニーシェルダンのMASTER OF THE GAME も途中なので読み切りたい。

 

さて、お水をもういっぱいもらってエステへ向かおう。

心の調整日だ

 

ノートに書くということ

 

ノートに文字を書くことが好きだ。

確かにデジタルデバイスで文章を残した方があとで見返すときや必要な情報を抜き出す際は利便性が高い。だから仕事で必要なメモに関しては結局PC上のメモを使った方がいいと気づいた。

 

だが、ノートにペンを用いて自分で記入することの方が自分の本心というか頭の中をそのまま具現化できているような気がして好きだ。

ノートに書くことが好きだが、きれいにまとめたり丁寧な文字を書くことはできない。

あとで見返したり、とても人様に見せられるようなものではない。ただ今その瞬間の脳内を紙に写しているだけである。

 

昔、中学生の頃、黒板をそのままノートに取ることが苦痛で(書いても書いても先生の描く黒板がアップデートされてしまうのだ)カメラで黒板をスキャンしてそれを印刷してノートにはれたらどんなにいいことか、早く誰かそのようなものを開発してくれと思っていた。

今思えばそんなことができたとしてなんの意味もなさないことがわかる。

そんなことをするくらいなら教科書や参考書に黒板にしか書かれていない内容を直接書き込んでおけばいい。

きれいな状態で教科書や参考書を残しておく意味はないのだから。

 

とにかく自分の手を使って文字を書くということが大切だったのだ。

教員に転職した際にはノートを取ることの大切さをちゃんと伝えたいなと思う。

 

今は中高でもiPadを使ったり黒板に書かずに画像を映し出して授業を進める所が増えているようだが、ここというポイントはしっかりノートを取らせるような授業にしたい。自発的に取ろうと思えるような。

 

ノートに書くのが好きならブログじゃなくてノートに書いておけよと思われるかもしれないが、雑にノートに書いた上でブログにも書いている。

なんとなく、見かえしたり、誰かに見てもらいたいと思っているからだろう。

キッチンで食べるということ

 

今日は仕事の疲れが溜まってか、昼過ぎまで寝ていた。

久しぶりに長時間眠れたが起きた途端ものすごい空腹感を感じて急いでスープを温めご飯と共に2杯頂いた。その後デザートが欲しくなって昨日スーパーで買っておいた甘夏を食べることにした。

甘夏とはその名前とは裏腹に甘みより酸味が強い柑橘類である。手のひらいっぱいサイズの甘夏の皮を包丁で切ってそのままキッチンで食した。

キッチンで食べるというのは行儀が悪く聞こえるが、(いや、実際に行儀が悪いのだが)部屋で食べると甘夏の汁が飛び散ることが予見されていたのでキッチンで食べた。

キッチンで食べるというのは部屋、机を汚さないということ以外にも利点がある。

それは食に集中できるということだ。

部屋、机で食べるとどうしても何か物足りなくなって YoutubeNetflixを再生してしまう。面白い動画を見ながら食べるのもまた一興なのだが、どうしても口に運ぶ食べ物よりも動画に集中してしまう。そしていつの間にかお皿の上からきれいさっぱり食べ物がなくなってしまっているのだ。

一方キッチンで食べると当然ながら動画を再生するスペースもないし、机に運ぶ手間をも惜しんでいる状態なので食に集中できるというわけである。

 

とまぁキッチンで食べることの屁理屈を述べたわけだが、

一番いいのは動画なんかを見ないで美味しいご飯を友人や家族と食べることである。

お酒を飲んで記憶をなくすことは損なのか

 

ベロンベロンに酔った次の日全く記憶にないという人がいる。

私も断片的にしか覚えていないことがあるので、酒で記憶をなくすというのがどういうことかはなんとなく理解できる。

ふと思ったのは次の日記憶をなくしてしまうのは不幸なのか否か。

 

楽しい酒の席だった場合、

記憶をなくさなかった人は当然その場(過去)も楽しいし、(現在)思い返した時も楽しい思い出を反復して体験できるわけだ。

一方記憶をなくしてしまった人はどうか。

その場(過去)は楽しかったとして、(現在)思い返す楽しい思い出がないという点では損しているのだろうか。

 

酒の席で粗相してしまった場合はどうか。

その場(過去)の時点では楽しい/反省しているかもしれないが(現在)思い返す感情も状況もないのだから無害である。

 

結局、酒の席で記憶をなくしてしまう人は基本的にその場(過去)では楽しんでいるし、仮に(現在)思い返すことができなくても、

思い返す時間を使って別の思考をしているとすると、記憶をなくしてしまっても損ではないと思う。思い返している時間は(現在)進行系の思考ができないし、(過去)追体験をするか、(現在)進行系の思考をするかどうか、時間の使い方は人それぞれだ。

 

これは何も酒の席に限った話ではない。

例えば楽しい旅行の思い出だ。大抵の人は旅行という非日常で楽しい体験は鮮明に覚えていると思うが、当時の記憶を100%覚えているわけではない、100%思い返すことはない。そんなことをしていたら(現在)時間を過去の追体験に全て費やすことになってしまう。

 

もちろん断片的に思い返す楽しい思い出が多いに越したことはないが、

結局それは(現在)楽しく過ごすことができるかに依るのではないかと思う。

 

そうすると(現在)健康で自由に使える時間がある程度あれば、(過去)の記憶をどれだけ覚えているかどうかは(現在)の幸せ度には影響はさほどないと考えられる。

 

一方、(現在)何かしらの健康上の問題や、自由な時間・お金がなかった場合、(現在)を十分に楽しめないとする。

そうすると(過去)楽しかった思い出を追体験できるかどうかは重要な問題となるかもしれない。(もちろん、脳内で妄想や想像にふけることができればそんな必要はないかもしれないが、例えば年老いた自分がクリエイティブ老人になっている想像は難しい。)

 

楽しかった思い出を追体験できる方が良いとすると、少しでも多くの思い出を思い出すことができるように写真や文章に残しておくことはある意味将来への投資となる。

 

だから楽しい時間を過ごすときは、お土産を買ったり、写真を撮ったりして残しておいた方がいいし、その時間を他人と共有していた場合は、そのようなものをあとでまとめてプレゼントにするといいのかもしれない。

 

そういう点でおすすめなのがしまうまフォトプリントだ。

スマホでとった写真を選択するだけでアルバムブックにしてくれる。これで最近の旅行の思い出をフォトブックにして実家に置いてある。両親や私の老後の楽しみの1つになってくれるはずだ。

 

話が逸れたが、

結論、お酒を飲んで記憶をなくす人は無くさない人に比べてちょっとだけ損している。

 

 

 

 

絶対強がりやんって話

おじいさんになっても強がりしちゃうんやなって話

 

この前京都伏見稲荷大社へお参りしに行ったんですよ。

お参りと言っても本殿で参拝するだけではなくてちゃんと山頂までガッツリ登って参拝しにいきました。

お母さんと弟と一緒に行ったんですけど、後半距離も結構歩いたし、傾斜もかかってるしで、お母さんははあはあ息切らしながらやっと登れるレベルでした。

なんとか山頂までいって、お参りして下り道、ちょっと広い空間があって人が多いところがあったんですけどそこで下ってたおじいさんが足踏み外したかでいきなりグルグルグルって下に落ちてしまったんですよ。

で、周りの人もえぇ、きゃってなって一瞬シーンってなって、

おじいさん落ちた!?って身動き取れなくなって崖の方見てたらギリギリのとこで助かったみたいむくりって起きてきて

崖に落ちて無いとしてもかなり転倒していたので

骨折とかしちゃって無いかなって心配して見つめていたら腰押さえながらよろよろ戻ってきて細い声で一言「いやぁ、昔サーカスしてたおかげで、なんともならんかったわ」って。

いや絶対強がりやん!

 

(実際おじいさんなんともなくてよかった。そしてサーカスがほんまやったら私はそっちにすごく興味があった。)

 

忘れていた四字熟語

忘れていた四字熟語が多い

 

何度やっても文字は変わらないが諦めずに美文字練習帳に取り組む。

言葉は知っているが詳しい意味をわかっていなかった/忘れているものが多かった。

・二束三文:2足の草鞋を売ってもたったの三文にしかならないということ。

二束三文の商売をしていても仕方がない。

・月下氷人:男女の縁を取り持つ人のこと

顔が広い先輩に月下氷人役を依頼した。

・未来永劫:無限に長い歳月のこと

未来永劫忘れません。永劫ってこんな漢字だったんだ。

・色即是空:この世のものは実態がなく全て空だということ

これは般若心経に出てくる言葉みたいですね。

空というのは無、0というような意味ではないそうです。

Aという結果はなくなるがBやCという別の形として存在するのように捉えられるのでしょうか。

以下のサイトを読ませてもらいました。興味ある方は是非。

色即是空の恐ろしい意味を分かりやすく説明

 

いやあ日本人として生きる上でちゃんと四字熟語読み書きできないといけないなぁ