toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

総裁選も市民が動かせるのか

一体一市民、一有権者の意見がどれくらい政治に反映されるのだろうか。

そもそも政治とは、市民のために行われるべきものである。

 

ということで、今回の総裁選について、一有権者としての意見メール、連絡を

議員の方に入れさせて頂いた。

 

返信が返ってくるのかもわからないが、今回は日本の国政の危機を感じているので行動に移した。もう時間がないけれど。

なんだかんだ謳歌

すごーく変な流れになってきて、国際政治的な心配とか、ワクチンの心配とかはあるけれどそれを考えなければ割と人生謳歌している気がする。

 

ここ最近とても楽しんだからそう感じるのかもしれない。

 

会社はフルリモート期間だったので夏季休暇も合わせてしばらく実家に帰っていた。

朝昼夜ご飯は相変わらずお母さんの美味しいご飯が頂けたし、美味しいおやつもたくさん食べた。ちょうどデパートで北海道店が開催されていたのでロイズのチョコやマルセイバターサンド、濃厚ミルクプリンなどを家族と一緒に堪能した。ワンピースアニメも一緒に見た。

 

仕事が終わると実家で読みきれなかった本をメルカリ出品される前に読んだ。図書館にわざわざ行かなくても実家が図書館だった。

読んでいる途中、読み終わったあと、すぐに感想を共有することができたのもよい。

1人でいるとブログでなんとなく文章にするか、1人頭の中でぼーっと浸るしかないのだ。

 

弟も帰ってきていたので一緒にゲームもした。ゲームボーイアドバンスポケモンのカセットだったので通信はできなかったけど、同時にスタートさせてどっちが早く殿堂入りできるか、という遊びをした。もういい年した成人だが、いつまでも子供の頃の遊びが続けられる。

 

シールやメモ帳、ペン集めなど子供の頃ハマっていた収集に興味は戻らないけれど、昔ハマっていたゲームとかっていつやっても面白いものだ。それだけ日本のゲームソフトのクオリティが高いということか。

 

スイッチやってる大人はいるけれど、DSやってる大人は見ないから、レアかもしれない。

 

それから夏季休暇を利用して旅行に行けるじゃないかということで、急遽旅行にも行った。北は北海道、南は沖縄、どちらに行くか‥どちらも宣言下なので施設は開いてないし、お店も早く閉まってしまう‥山の自然を楽しみ温泉に行くか、海の自然を楽しみに泳ぎに行くか‥。

悩んだ末、まだ暖かかく、海で泳げるチャンスと思い沖縄へ飛んだ。

 

それなりに人はいたけれど混んでいる、というほどでもなく海を存分に楽しむことができた。また人の手付かずのビーチに行くと、至近距離でたくさん魚を見ることができた。最高だ。

美味しい料理屋さんも発掘し2日続けて食べに行った。

海と山に挟まれたドライブもできた。

また詳しくは別で書こうかな。

 

こうやって振り返ると今のところ、なんだかんだ人生謳歌してるわけだ。

 

うっかりGBA

GBAすなわちゲームボーイアドバンス

 

 ゲームボーイアドバンスのゲーム

ポケットモンスタールビー・サファイアが懐かしくなり、222時間のプレイ記録を削除し、1から始めてしまった。

 

初期なので、経験値も地道にコツコツ貯めるしかない。

道具を買うときも手持ちの数の参照などできない、など、3DS版以降(最近?)のものと比べると根気がある部分もあるが、しっかりと楽しい。

2日で30時間ほどやってしまった。

 

最新版はがくしゅうそうちを持たせれば全員に経験値が入ったり、ポケモンを捕まえても経験値が入ったり、などと非常にユーザーに優しい作りになっていた気がする。

ゲームでもゆとり化が進んでいる。オートプレイ機能などあるのだからすごいもんだ。

 

なんにせよ、四天王に挑戦したものの敗れてしまったので、もう少し鍛えなければならぬ。

気がついたら数行過ぎてる

母にお勧めされたThe analyst というミステリ小説がある。

かなり面白く一気に読んでしまったらしいので、私も読んでみようと思い昨日から読み始めた。

 

ところが、英語だとわからない単語もあったりし、100%理解できるわけではない。

そのせいか、文章自体は全て目を通しているはずなのに、物語に集中できていなかったのか、他のことを考えているのか、ハッと気づくと数行が過ぎていることがある。

 

日本語の文章を、読んでいても起こることもあるがこの現象は一体なんだろう。ぼーっと見ているわけでもなく、確かに目は一文字一文字を追いかけていたはずなのに、脳で理解することなく通り抜けてしまっているのだろうか。

 

英語の場合は特に、文体に慣れていないと体感で理解するのが難しいというのもあるだろう。

 

悪童日記

アゴタ・クリストフ悪童日記を読んだ。

内容が衝撃的であること、一方極めて読みやすい文体であることからして2日で読んでしまった。

 

全編がかなり短編で構成されており、5ページくらいで一種のテーマが提示された物語となっている。

題名にある通り悪童(双子の少年)が書いた日記風として本が構成されている。

それぞれ戦時中の悲惨な様子や、その時当たり前だった悲惨な風潮が描かれている。悲惨であるがただ虎視眈々とその事実が描かれる。少年目線での描写であるのにも関わらず、感情描写は一切含まれないため、感情移入によるダメージは少ない。

ただ、日本はまだ恵まれていたんだな、と思わざるを得ない状況が繰り広げられていく。

昔のヨーロッパ文学を読むとわかるのだが、昔のヨーロッパでは女性や子供に対する扱いはかなり不当だ。戦時中であるからしてそれはもっと不当なものとなる。そう言った事実がありありと物語として描かれているのだが、

この物語の中では登場人物の名前も、土地も、どの戦争かも明確に記されていない。

 

解説にそれぞれどれが想定されるから記載があるため、気になった人は読んでみてほしい。

 

とにかく、内容としても興味深く面白い本であった。

 

また、本の構成として、(一貫して同じ話ではあるのだが、)

全編が短編であり寸劇調になっている構成が面白い。ストーリーを追うのは難しくないし、章の名前とそれぞれの起承転結が繰り返されるだけだ。こういう文学的手法は面白いと思う。

苦役列車

西村賢太苦役列車という本をよんだ。

 

苦役列車」、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の2編が収録されていたのだが、私小説で主人公が同じ名前だったからか、続きの物語だと思って立て続けに読んでしまった。

最も、私小説の主人公が10代だった頃から40代の頃の話へ移り変わっただなのである意味続きと言っても過言ではない。人生は一つなぎである。

 

苦役列車、題名から連想されるように楽しい話ではない。読んでいて気分が良かなるようなものではなかった。だけども、主人公が悲劇のヒロイン気取りではないからだろうか、何か面白く共感できるとこが多々あり、あっという間に読めてしまった。

この章は、父親が性犯罪者になったことにより小学生の頃から人生を狂わされた可哀想な青年の話。かもしれない。

小学生のような自力では生きていけない小さい存在では家族が与える影響は大きい。その子の環境や性格に大きく影響を与えてしまったと思うが、成人近い彼の怠惰な生活態度は見ていて苦しく感じる人もいるかもしれない。

 

出だしから、自分が経験したことのないような生活が描かれるので興味が惹きつけられた。怖いもの見たさのような、こういう世界が本当にあるんだ、というような知的好奇心もくすぐられる。狭いアパート暮らし、日雇いバイトで日々の生活費を捻出する様を見ると、自室のワンルームが狭い、お風呂が狭くてリラックス出来ないなどと文句を言っていた自分が恥ずかしくもなる。

一方、せっかく汗水垂らして稼いだお金を居酒屋での食事に費やしたり、風俗に使ったり、と余計な娯楽に使い、結局家賃を踏み倒す様は見ていて心地よいものではない。

よく捉えれば、せっかくの人生、刹那的にその日その瞬間自分が楽しいと思えるように過ごしている様はかっこいい生き様かもしれない。日雇いバイトで体を酷使し、家賃や老後の心配のための貯金に回していたのでは、結局誰のための何の人生だ、となることもあるかもしれない。

 

私小説とはどこまで本当のことを書いているのかわからないけれど、苦役列車の主人公の少年がこの頃西村賢太のような著者になり、このような文書を書いたと思うとその文才には嫉妬する。

西村賢太さんを調べたところ、36才くらいでデビュー、書き始められたようだ。

ある程度苦役列車の内容が本当だとして、デビューに至るまでの人生も覗かせてほしい。私小説になっているのだろうか。

 

あまりにも長くつらつらと書いてしまったのでこの辺にて。

 

 

喪失の儀礼

松本清張の本「喪失の儀礼」を読んだ。

面白くて夜だけしか読む暇がなかったものの、3日で読み終えた。

 

小説というのは最初の数十ページはその世界に興味を持つための

グッと堪えなければいけない段階がある気がする。そういう本も多いなと感じる。

ところがこの本は、10ページも読み終わらないうちに私の心をひきこんだ。

最初の章が"青白き死"であるからして、早々に被害者の話が展開される。

説明の文章が上手いからか違和感なく情報が入ってくる。

 

それからはメインで活動する警察官の推理視点とともに次々と事件を追いかけていくのである。詳しい書き込み操作や、ひょんなことから様々な情報が得られる。その度に推理が走り、また調査へ向かう。

 

真相に近づくようで近づけないもどかしさもありつつ、少しずつベールが剥がれていくのが何ともたまらなく面白い。

一体物語をどうやって考えていて、どの順で読者に明かそうと思っていたのか、

松本清張の脳味噌を覗き見たいと思ったほどである。

 

また、今回の事件に関わった者は医者や製薬会社関連であり、その二者の利己的関わり(当然製薬会社は薬をどんどん置いてもらおうと医者に忖度する)がまた興味深く面白い。

小説といえども全くの嘘を書くわけでもないだろうからこう言ったことはある程度取材されているのだろと思う。が、一体どの筋からこういった情報を得ているのか、気になるところである。

 

この本の中で、被害者が俳句好きであったことから、関係者が作成した俳句についても取り上げられるている。

そのなんともダイナミックで力強く、畏怖を感じるような俳句が好きだ。好きというよりなんとも惹かれるのである。小説の中で使用する俳句まで作ってしまうなんて、流石だ。

 

俳句関連で、『松尾芭蕉のホモ説に興味を持った老婆』的表現をしている文章があって、そちらはこの本の中で唯一ぷぷと少し笑ってしまった部分である。老婆と表現されるお婆さんが松尾芭蕉がホモであったかもしれないという色恋に興味を持った姿は想像するとなんだか面白い。