toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

つい他人の生活を撮ったYouTubeを観てしまう自分の分析から学ぶ

 最近日常系YouTubeを見ることについつい時間を費やしてしまう。

 

YouTubeなどのSNSを見続けてしまう理由は受動的に永遠に快楽物質を得ることができることだからだと言う。いや、むしろ、面白い動画に出会わなかったとしても、次に更新した画面で面白い動画や情報が得られないかな、という期待によりドーパミンが放出されるのでついついフィードを更新してしまうと言ったわけだ。

 

と、YouTubeを見てしまう理由は把握しているのだが、

それでもついつい見てしまうのが日常食事系動画だ。

アラサーOLの日常、一週間の食生活やら大食い企画動画をついつい観てしまう。

これは私が食に興味があり、20代OLであるため、いわばターゲット層に当てはまっていることは言うまでもないのだが、そもそもなぜ他人の(食)生活を見たくなるのだろう。

 

理想とする生活を擬似体験できるからだろうか。

1人だからついつい綺麗にお皿に盛り付けることを面倒くさがり、時にはキッチンで作りながら食べてしまうこともある。

一方動画では仕事終わりの疲れた体でも、自炊をして綺麗に盛り付け食べ切る、という単純そうだが、一人暮らしにはハードルが高い生活を送っている様子を見ることができる。あるいは疑似体験できることに価値を見出しているのかもしれない。

また動画内、あるいはアフレコや字幕などでその人の心情を受動的に見聞きすることができる。これも動画を見聞きするだけで情報を受け取ることができる、ある意味快楽物質の流出源となっているのかもしれない。

 

この分析から考えられることは視聴者と配信者とで観点を分けて2つある。

1,動画断ちをしたいなら、動画を真似した生活を送ること。

2,配信側に立ちたいのなら、人が羨むような光景を写し、動画内で話す・アフレコ・字幕をつけること。

 

1,動画断ちをしたいなら、動画を真似した生活を送ること。

今回自分の動画視聴傾向を分析すると、よく見ている動画は実践可能なもので、わざわざ擬似体験に時間を要するものではない。だらだらと見てしまうことが時間の無駄であるならば、実体験すれば良い。

 

2,配信側に立ちたいのなら、人が羨むような光景を写し、動画内で話す・アフレコ・字幕をつけること。

 もちろん雑で飾らない動画が売りのYouTubeチャンネルもあるが、

擬似体験でドーパミンが放出されるような動画を目指すのであれば人が羨むような丁寧な食生活や大人買いの大食い動画の方がターゲット層としては広く考えられる。

またアフレコや音声をつけることによってラジオ感覚で視聴してもらえるかもしれない。

収益化を見込んだ配信という観点で考えると、アフレコ、キャプション付けなど工夫次第でコストパフォーマンスの振れ幅は大きそうだ。