toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

長電話をしなくなったのは年のせいか、時代のせいか

ここ最近長電話というのを頻繁にしなくなった。

中学生の頃は家に帰ると速攻友達と通話していたのに。

 

中学生の頃は、家に帰るなりSkypeを立ち上げ、1時間前にバイバイした友達と永遠と通話とチャットをしていたものだ。しかも同時に。

もう人世代上の人に例えるなら、家の電話で長電話をつらつらしている、そう言ったイメージであろう。

あの頃一体何をそんなに話すことがあったのかすら思い出せないが、とにかく楽しくて永遠に話していたのだったと思う。

 

ここ数年ではコロナで会えないから電話しよう、というパターンを除けば長電話なるものを滅多にしなくなってしまった。

おそらく年のせい。もしくは時代のせいである。

 

年のせい。

そうきっと年のせいだ。社会人になって話題にしたいような噂話もなければ日々同じような生活を送っているせいで友人に話すようなトッピな話題もないからだ。

そして"話すようなトッピな話題"ハードルが年々上がっていくからこそ余計に話すような内容がなくなってしまう。だから早々に切り上げてしまうのだ。

いや、もっともわざわざ電話をかけようとしないのだ。

 

時代のせい。

そうきっと時代のせいだ。便利な時代になったものでTwitterInstagramのStory機能など、リアルタイムで起きたことを友人にシェアすることができる。

そうやって事細かに自分のことを発信してしまうせいで長電話につながるような話題に発展する前に、みんながそのことを知ってしまう。

もしくはその話題に反応してアプリ上でリプライ、リアクションしてくれるかもしれない。それに対してこっちも返す。向こうも返す。数回のやりとりを経て話題終了。

今まで長電話に費やしていたものがアプリ上で簡潔に済むようになったのだから、それでいいじゃないか。とまぁそんな具合だ。

 

長電話が悪いことだともいいことだともわからないが、

周りの環境も自分自身も変わってしまったことで、中学生の頃のように長電話に熱中することは無くなってしまった。あんなに長時間(おそらく実りのない)話をしていたのだから時間の無駄、とも思えるが、その時しかそんなに熱中することができなかったのだから、

あぁ、あの時時間を精一杯費やしておいてよかった、と、ふと思う。

 

もし今自分が、お子さんが、何か非生産的なことに時間をたくさん費やしていたとしても、

本人が夢中になっていたとしたら、それはその瞬間しか生まれない大切な思い出になるのだから、存分に楽しませてあげてほしい。