toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

人にすぐ話しかける

友達を作るのは得意な方だ。

いや、友達というか知り合いと言った方がいいかもしれない。むしろ友達を作るのは苦手だ。

 

何かしらのイベントに参加し、周りが知らない人だらけでもいつの間にやら誰かと話したり一緒に行動している。

 

親が関西人で周りに対してフランクだから、また自分も関西にいたのが長かったから、もしくは1年間の海外生活で人とフランクに接することに慣れたのかもしれない。

 

無言でずっといるより、隣の誰かに話しかけたくなってしまうのだ。特に何かしらのイベントで同じ目的を持って参加している人などは話しかけやすい。一人旅で急に、というのより話し込める。

これは大袈裟に言えば長所かもしれないが、別に特段難しいことをしているわけではないので誰にでもできることである。

 

ただ、そういう場に行っても、他の人はずっと個人単位でいることが多いので逆に自分が変わっているのかとちょっと気になった。

 

何だか最近は知らない人と話す機会が少なくなっているように感じる。昔はバスや電車で座っているおばちゃんが荷物を持ってあげようか、飴ちゃんあげようかと話しかけてくれることもあったし、同じマンションに住んでいたらみんな挨拶したもんだが、それすらなくなっている気がする。

 

流石に知らない人からお菓子をもらっても食べるには抵抗があるが、マンションや近所の人との挨拶は防犯の観点からもみんなしたほうがいいのではないかと思う。そう思ってこちらからはするのだが、そっけない態度(ほぼ無視)されることもあってガッカリする。

 

小中高ではあいさつ運動なるものがあり、しっかり挨拶しようと教育を受けているはずなのに、大人になればそんなことも忘れて自分の世界しかなくなってしまうのだろうか。挨拶の民達は非挨拶の民に駆逐されてしまうのだろうか。などと悲観しながらも、今日も私は挨拶するし、知り合いを作る。

 

ただし、それ以上になるのが苦手である。知り合い以上の関係、つまり一緒にお茶したり、遊びに行ったり、雑談したり、その段階を幾らか繰り返して"仲の良い"友達になっていくのだろうが、なかなか距離感を測るのが苦手である。

 

こんなにガンガン踏み込んでいっていいのだろうか、社交辞令なんじゃないか、そんな信用されてないんじゃないか、などとどんどん不安になってしまうので、楽な知り合いレベルで止まることも多々ある。

特に大人になってからは相手との距離の測り方が難しいので、学生時代からの気の置けない友達はより貴重である。ステータスなど関係ない、純な友達はもう出来ないかもしれない。