toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

動画視聴は健全な飲酒

動画は酒である。

見るから思考を止めるのではなく、思考を止めるために視聴している。

 

もちろん思考する為に動画を見ることもある。政治や経済の動向を知るためにYoutubeで発信されている情報から学び、分析し、思考する。

 

一方で思考停止状態に陥るために次から次へと動画を貪り見ることもある。

脳が快楽物質を求めて永遠にSNSで新しい情報を求めて繰り返し更新、閲覧してしまう、という現象に陥ることもあるそうだが、この場合はまた別だと考える。

 

何か強制的に情報を与えなければ思考をしてしまう。そしてその思考をすることによっておそらくネガティブな感情に覆われてしまう。どうせいつかは思考し、覆われてしまうのだとしても、それは今、この瞬間ではないのだ、と先延ばしにするために敢えて自らの思考を奪うべく、他愛のない動画を繰り返し視聴した。

 

これは酒と似ている。酒も味やその場の雰囲気を楽しむために純粋に楽しむこともあれば、きついのをいっぱい、その日限りと知りながらどこか現実逃避をするように、酒に溺れようとすることもある。(ただし、結局どこかで理性が働いて、セーブする。次の日にただただしんどい思いをするのは嫌だし、シャワーを浴びてから寝床につきたいからだ。)

 

どうせ思考を一旦停止させ、一時的な快楽に溺れるなら、次の日の健康に師匠をきたさない動画視聴はなかなか悪くない。

難点としては、一日中開始可能だということだ。休日であれとも昼間からいきなりお酒を飲むことは憚れるが、動画視聴はどうであろうか。起きがけベッドの中からでも可能である。

そこで思考停止のための動画なんかを見てしまうとその日はおそらく自堕落な生活を送る羽目になるので、注意が必要である。朝は、できればDHCテレビなどでニュースを視聴したい。