toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

やっぱり議論がしたい

最近になってよく物事を議論したいと思う。

なぜ議論したいと思うのだろうか。

1つには今持っている意見を発信したいという思いがある。

また1つには今持っている意見を否定する見解を聞きたいという思いがある。

 

議論をして自分の意見を相手に伝えたいから。

議論をして自分の意見で相手を打ち負かしたいから。

議論をして自分の意見の非となる部分を明確にしたいから。

議論をして新しい見解を身につけたいから。

 

議論といってもディベートのように、はい、今から〇〇側の意見をいいます。

というような堅苦しいものではない。日常会話の掛け合いの1つでいい。

ただ最近はしょうもない掛け合いならできるけれど、コアな話はみんな伏せがちで、議論するとギクシャクするから話に出さない、ということが多い。

 

確かに好きなものを最初に食べる派か最後に食べる派か、というようなしょうもない議論であれば誰も傷つかないし、話していて楽しい。因みに私は最初に食べて少しだけ残しておく派だ。ずるいやつだ。

 

ところが、オリンピックや政治の話、マスクの話、ワクチンの話を持ち出すと妙にしんみりとしてしまい、誰かが意見を言ったら軽く肯定するか、受け流すかで話は終わってしまう。

 

こういうコアな話は雰囲気が悪くなる可能性もあるので、毎日するような話ではないし、盛り上がっている場でする必要はないと思う。

が、しかし、これまたどちらが正解というのがあるでもなし、議論するだけしたっていいじゃないかと思うのだ。

 

理想は、酒の席で話題に出して議論する、お互いにアツくなるけれど、後から酔っていたなと思える程度がいい。

俺はこう思う。いやそれは違うね、俺はこうだからこう思うんだ。

酒の席なら喧嘩腰になったっていい。

何だとぉ、お前馬鹿じゃねえのか。いうじゃねえか、お前こそばかだ。

 

それでも自分の意見を言って相手の意見も聞いて、という議論ができるのは楽しいと思う。

 

お互いの意見を全く認めない、という結果になるかもしれないが、それはそれでいいんじゃないか。相手のコアな意見は聞かないで、そこには目を伏せて上部の会話だけをする方が違和感があるじゃないか。と思う。

 

何でも0/100の世界でできている訳じゃないので、

本心ではこう思うけど世間体を気にしてこうしている。とか、この情報を信じてこの行動を取っている、とか、理由はまちまちあると思うのでいろんな意見を聞くのは楽しいと思う。