toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

お土産は思い出の付加価値の産物

どうでもいいものほどお土産として買うと良いかもしれない。

 

家にあって大切にしているもの、よく使っているものは、友達家族からのプレゼントであったり、旅行先で買ったものが多い。

 

お土産とはその物本体よりも、

その土地での思い出が付加価値となることで

本人にとってその物が持つエネルギーが大きくなる。

 

だから、例えただのシャーペンやタオルでも、

日常生活に戻った時にふと見ると思い出を思い出さことができて、

ほっこりとした気分になる。買って良かったと思う。

 

逆に勿体無いから、家にあるからといって節約なんかしたりしていると

後になって記憶を掘り起こせば覚えているものの、形として残っていないので、思い出すきっかけなどが減ってしまう。

 

 

だから私は極力旅行先でなにかを記念に購入するようにしている。

できれば実用的な物がよいのだが、どうでも良い物でもお土産として買えば大切に扱うことになる。

努力することの大切さについて今一度考える

 

努力することの大切さ

というのは、努力した結果が良い結果であれば語るのは容易い。

ただし結果だけに注目してしまえば、なんだ大したことないじゃないか、となることもしばしばある。

 

短期的な目線で見れば結果どうなった、が大切であるが、

長期的に見れば、努力したという過程が自分で自分を認めてあげる一つの要素として残り続けるという利点がある。

 

というのも、学生時代の勉強ノートや行事についてまとめたもの、留学や仕事や院に進むかなど進路について検討していたノートなどなど

今見ると、お、結構真剣に頑張ってたじゃん。と我ながら感心する。

 

そして、あんまり頑張れないな、と自分がダメに思えた時、当時はあんなに頑張れてたじゃないすごいじゃない、今も昔もそんな変わんないんだから意外とできるかもよ、

と、自分を自分で励ませる確固たる要因となりえるのだ。

 

だからどんな些細な努力でも、その努力を糧にして次また踏み出す気にさせる、大切なものである。

 

また、安心感のある休養を取ることもできる。

自分はあの努力をしてあれくらいのことができたから、暫し休憩してもまたエンジンをかければそこには戻れる、という一種の安心感を抱えてあえて休憩を取ることもできる。

休息というのは不安が取り除かれて初めてゆっくりできるものなので、

このような要因も非常に重要である。

アニメの考察は大事かも

最近ONE PIECEアニメを見ていると現実世界のあの問題とかこの国とこの国の問題の関係と酷似しているな、とか色々重なって見えてくる。

 

もしかしたら尾田さんが問題提起の意図も込めて描いているかもしれないし、

オリジナルでストーリーを組み立てたら結局現実世界で起きている問題と重なったかもしれないし、真意はわからない。

 

けれども漫画やアニメ、小説を通して何らかのメッセージを発信している方は多いのではないだろうか。

 

ただし直接的な表現はなされないので、読み手の憶測に委ねられると思うが、

そういった時の発信役が考察勢である。

(好きで考察しているだけだと思うが)

 

純粋に作品を楽しんでいた場合でも、考察を読んでハッとすることもある。考察を読んだから純粋に楽しめなくなる、ということはなくて、かえって現実世界の問題にも焦点を当てることになるので人々を刺激するのにいい働きをしているかもしれない。

 

考察する人だってそのうち職業として成り立つかもしれない。

絶対に採用したい人

絶対に採用したい店員さんがいる。

 

スーパーのレジ打ちをしている店員さんなのだが、いつも愛想がよく丁寧で、

その人がいるといつもそのレジに並んでしまうのだ。

 

言葉遣いの丁寧さも絶妙で、謙譲語、尊敬語を多用したような言葉遣いではなく

普通の丁寧語で話されるのだが、語尾や言い方を含め、とても印象が良い。

 

おそらくその人が常にニコニコと明るく優しい声で接客されるので

言葉遣いにも優しさが表れているのだと思う。

 

こういう、なんだか接するだけで心が温かくなる人、というのはなかなか貴重な存在なのではないだろうか。

特に最近ではオンライン対応、AI対応、チャット対応、などと、直接的に接する機会が減っているので尚更だ。

 

仕事、という面ではその人の学力、経歴、スキルそういったものが大きな判断基準になることは当然だけれど、人間性みたいな部分はそれと並ぶぐらい大切なものだと感じる。

 

なので私はカフェを開業した際には是非採用したい人リストに

こっそりその人を加えているのだ。

 

流れ変えたかったら小さな一歩

結局流れが変わるのって自分が動いた時ですね。

 

そんなことは当たり前かもしれませんが、

なーんか奇跡が起こって自分が思い描いた理想な生活に急変しないかな!!なんて考えてることがしょっちゅうです。

 

それでも「あ、ちょっと流れが変わった」って思う瞬間は、自分が一歩踏み出した時。

 

踏み出すといっても偉大な一歩出なくていい。ただのアクション。

本音の相談を親にしてみた、友達にしてみた、先輩にしてみた、、

気になるから問い合わせの電話をしてみた(そ、相談ベースでとりあえず!)

ネットで応募できるからひっそり応募ボタン押下、、

そんな些細な一歩でそのさきの道がふわって開けることを多々感じる。

 

洞窟に入って足元しか見えなかったのが、フラッシュを使ったおかげである程度見える!動ける!モンスターボール取りに行こう!ってあの日のポケモンを思い出す。

 

本日はちょっと気になることがあり、ネットで調べ、一人で同じようなことをうんうんと悩んでいて、悶々としていた。

いっそ相談という形でチラッと話を聞こうと思い、電話してみると、思いのほか事が運び(そうになっている)

 

やっぱり待ってるだけじゃだめなんだなーー

チーさな一歩が大事なのね。。と改めて思った日。

忘れてたワクワクの見つけ方。

 

大人になってから思考が固くなってしまったのか、自分のワクワクが見つからない。

ワクワクのハードルが高くなってしまったのだきっと。

 

そんなふうに思っていた時、ふと幼稚園児だった時の記憶が蘇った。

白昼夢というやつだろうか。

 

 

幼稚園の廊下で女の子一人、男の子の戦隊ごっこに混じってピンク役を演じていた。

他の女の子のお友達は家族ごっこだったりお姫様ごっこをしているのだが、私はどちらかというと、戦隊モノとか、平和のために戦うかっこいいものが好きだったのだ。

 

思えば見ていたアニメもドレミちゃんとかディズニープリンセスより、〇〇戦隊が好きだったし、中学生高校生でもかっこいいアクション映画の方が恋愛プリンセス系映画より断然好みだった。

なんか正義のヒーローみたいなのって考えるだけでワクワクするんだよなーって。

 

もちろんもちろん女の子だし女性だから可愛いドレスに身を包んで、素敵なお城で生活♪なんてのも憧れるのですが、そっちは癒しとか憧れで惹かれるのです。

ワクワクって観点から考えると自分が参加している方なのです。

 

とまぁ、幼き頃の白昼夢からハッとしたことだけれど、

ワクワクが見つからないなって思った時は、自分の中で何の制限もかけていなかった

幼少期の自分に戻ってみると案外見つかるかもしれない。

今の自分との違いは思考に制限フィルターがあるか、ないか。それだけ。

できるだけイベントごとは参加しておけ

イベントに参加することはその瞬間楽しいだけではなく

その後、そのイベントを思い出すだけで何度でも思い出を咀嚼することができる、

ダブルで美味しい経験となる。

 

社会人になるとバレンタインデーにクラスの男の子にチョコレートを渡すドキドキやホワイトデーにお返しをもらうドキドキなんて味わうことができない。

味わうことができない、というのは語弊があって、

味わう気にもなれなければ、味わうための機会すらない、と言った方がいいのだろうか。

 

クラス、という単位の束縛から解放された途端その括りから生まれる色々な制約からも解放される。やっと!と思った瞬間もあったが、制約や束縛があったからこそ楽しめたスリリングな要素も楽しめなくなってしまった。

 

例えばバレンタインの玉砕覚悟(と、当の本人だけが思っている)チョコレートを渡すイベントも、同じクラスで逃げ場がないからこそドキドキワクワクするわけで、

最悪もう二度と会わないかもしれない、顔を合わせる必要もない、という社会人の繋がりだけでは味わうことができない。

 

そうなってから、アニメや小説でバレンタインデーイベントにまつわる場面を目の当たりにすると、がんばれー今楽しんどけー。私もあの頃渡してよかった!

と思ったりするのである。

 

何もバレンタインとかホワイトデーとかそういった恋愛イベントだけに限ったものではない、友達の誕生日、家族の誕生日、ひなまつり、子供の日、クリスマス、、イベントはたくさんあるけれど、その瞬間しか味わえない楽しさが必ずあるから、楽しめるうちに楽しんで心に刻んでおくと良い。自分が主役の人生だから。

なーんて。

 

主役のうちにカフェを開業したいものだ。