toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

臨時収入の引き寄せ方法

ここのところ、臨時収入が舞い込んでくることが多いので、やっていたことを備忘録的に記入しておく。

 

最近、何の気無しに「毎日が給料日」という設定でいた。

 

「設定」といっても、

毎日が給料日っていいな〜、そういう設定にしよ!程度で特にそれ以外何もしていない。

 

そうすると、なぜか毎日(お菓子が帰る程度の少額だったり、×10だったり)臨時収入が入ってくるようになった。

 

毎日少しでも入ってくると、るん♪と気分が上がる。

あの設定のおかげなのかな〜と思っていた。

 

ただ、今月は月末に旅行を控えていたこともあり、ドラッグストアやスーパーでの爆買いに若干引け目を感じていたところもある。

備蓄分も含めてこれくらい買っておきたいけど、支払い総額がすごいことになりそうで不安だな〜

なんて思いながら。

でも、なんとかなるっしょ!と、安心できる分を購入。

 

そうすると、昨日はいつもとは桁違いの額が舞い込んできた。

 

お〜これが何とかなるってやつで、毎日が給料日で、安心してて良いってことかー!と自分でもびっくりした。

 

更に、これには108さんメソッドも絡んでいるのかもしれない。

MARNIの財布が欲しかったので、

メモ帳に

「どうして私は10万円手に入れられたのだろう?

どうして私はMARNIの財布を手に入れられたのだろう?」

と書いておいた。一応思い出そうとしてみたが、思い出せないのでそれはそのままにしておいた。

 

その後、そんなことを書いたのもすっかり忘れてしまい、メモ帳の整理と称して書いたものをビリビリ破り捨てていたら先ほどのページに到達した。

 

あ〜こんなの書いてたな〜いいなー手に入ってたら、なんて思いながらおいていたら、

その日の夜に臨時収入で舞い込んできたのだ。

 

面白いので、これからも毎日が給料日、どうして私は10万円手に入れられたんだろう?、(どうして毎月300万振り込まれるのだろう?)あたりをやってみる。

 

 

 

 

剥がれない「思い込み」への処方箋

「これはただの思い込みだ」と気づき、すぐに視点を切り替えられるときはいい。

しかし、本当に厄介なのは「そう思いたくないのに、どうしてもそう思ってしまう」ときだ。

客観視はできている。なのに、その感情が肌にピタリと張り付いて離れない。

そんなとき、私は自分なりの「セドナメソッド」を実践することにしている。

 

以下に手順を記す。

 

1. 【受容】ありのままの思考を認める

まずは、その思いを否定せずに受け入れる。「ああ、いま私は『人が怖い』と思っているんだな」と、現状をそのまま認めてあげるのだ。

善悪の判断を下す必要はない。

ただ「そう感じてしまっている自分」の隣にそっと座るような感覚で、その感情に寄り添う。

 

2. 【決意】あえて「手放す」と決めてみる

「手放せないから困っているんだ」という反論が聞こえてきそうだが、そこをあえて「一旦、手放そうとしてみる」のがコツだ。

三輪車と同じで、まずは乗ろうとしなければ一生乗れるようにはならない。

不格好でも、確信が持てなくてもいい。まずは「手放す」という方向へ、意志の舵を切ることが重要だ。

 

3. 【宣言】「今」この瞬間に決別の儀式をする

「いつ手放すのか?」という問いに対し、自ら「今だ」と答える。

これは、自分の意志を固めるための聖なる儀式だ。「私は今、この思いを手放す」とはっきり決める。その宣言によって、心に張り付いていた感情との間に、わずかな隙間が生まれる。

 

4. 【更新】新しい「ありたい自分」をインストールする

隙間ができたら、そこに新しい風を吹き込む。

古い思い込みを追い出したあと、「本当はどうありたいか」を自分に問い直す。

「人と関わるのは、実は楽しいことかもしれない」「世界は優しく、私は心地よく過ごせるはずだ」ふわっと、けれど力強く、理想の輪郭を描いていく。

 

そうやって自分を再定義したとき、世界の見え方は少しずつ、しかし確実に変わり始める。

本願に執着してしまっている時にエゴができる唯一のこと

どうしてもアレが欲しい、どうしてもあの人と付き合いたい、どうしてもこの体調を治したい、、などなど

 

”本願”を叶えたくて仕方がなくて、寝ても覚めてもその思いに引っ張られ、引っ張られるうちに
それが”今目の前にない”という不足感に囚われてしんどくなること、ありませんか。

 

そんな時にエゴ(自分の思考)ができる唯一のことは、その思考から”逸らす”こと。

 

もちろん思考停止で無思考でいられるならそれが一番です。

無思考でいる=エゴの囁きに翻弄されない=安心感を味わえる、から。

 

ただ、やはり本願に執着していると、その思考を消そうとしてかえってその思考に着目してしまうと思います。

今からシロクマのことだけは絶対に考えないでください。
と、言われると、途端にシロクマを思い浮かべてしまうような。

 

なので、囚われている時は、”逸らす”しかない。

 

本願が叶わない状態で、ちっとも幸せなんて感じれない、と思うでしょうが、

それでもあったかいお茶を飲んだり、美味しいご飯を食べたり、面白い動画を見たりして自分を苦しい状態から救ってあげるのです。(つまり、充足を見るということ)

 

本願が一番の願いだとして、二番目の願いについて考えを巡らせてもいいと思います。

 

執着をどうこうしようとせず、ほっとく、というのはこういうことかと思います。

 

ほっとこうとしてほっとけるぐらいなら、簡単なのですが、

ほっとこうとしてほっとけないので、余計辛いんですよね。

 

だから、もういかに逸らしてあげるかだけ。

 

片思いで悩んでいる時に、いくら忘れて諦めようとしても、そう簡単に忘れられません。

でも24時間の中で1秒たりとも考えない時間があるかと言われると、そうではないはず。

そこには逸れた時間もあるはず。

 

そんな感じで、うまく逸らしてあげて、まずは自分の不足感に囚われている状態を脱すると良いです。

 

 

 

 

なる=その状態の意識体の選択

潜在意識や引き寄せの話で「なる」という方法があるが、あれはその「なっている意識体を選択している」ということではないかと思う。

 

そう捉える方が「なったフリ」「なっているツモリ」になりにくいかなと。

 

例えば「モテモテな私になる」=モテモテな意識体を選択、ということになる。

そして、ここでの「意識体を選択」とは、「モテモテなあの女優さんやモデルさんが自分の身体に入って自分として生活している」状態だ。

なので、なってしまったら終わり、なのである。

もうモテモテな自分としての人生をとっくに歩み始めているのだから。

 

これは、角由紀子さんの
引き寄せの法則を全部やったら、効きすぎて人生バグりかけた話」という本を読んで得た着想である。

 

彼女がアヤワスカ儀式で体験した、「自分」への認識についての話で、

それまではハイヤーセルフ的な視点と1人の個としての自分と2セットで自分が成り立っていると思っていたらしいが、

アヤワスカを通して

ハイヤーセルフ的な視点が、常に意識体を選び、また周囲にいる意識体に影響されて自分が成り立っている

と認識したらしい。

 

これは何もスピリチュアル的な難しい観点と考えなくとも、状況によって自分の性格が変わることと同じように考えて良い。

例えば、友人といる時の自分、家族といる時の自分、後輩といる時の自分、先輩といる時の自分、それぞれ自分ではあるものの、性格や振る舞いは少しずつ異なるのではないか。

 

つまり、常に、それぞれの意識体がそれぞれのタイミングで自分として生きていると言える。

 

そしてそれは受動的ではなく能動的に選べる。

無意識に選んでいるのだと思う。

 

なので、意図する、決める、と同様に

「なる」として「その意識体を選択」すれば良いのである。

 

 

 

 

自分の価値を認めてあげたらその通りの扱いが返ってきたよ

またまた最近ですね、自分の価値を低く見ていたようです。

 

事象としては

「あの人は信用できない」と思っていたことがあったのですが、
それは結局『私に〇〇してくれるわけがない、だって私にはそんな価値はない』
って自分の価値を低く見ていたところにあったのですね。

めっちゃ自愛してて、なんかぽかぽか〜みたいなことを感じていた矢先に起きたので、

最初はなんで!?って思いましたが、

自分の価値をまだ低く見てたんだなーってことに気がつけました。

 

そこで、

また自分に謝って、低く見ててごめんね、こんな不当な扱いさせてごめんね、

でも不当な現実を受け取る必要はない、私にそんなことは値しない。

だって私は世界一価値があるもんね。

価値がないなんて低く見てた、違う違う、価値しかないんだったよ。

 

と自分に対する評価を書き換え直して、生活していました。

 

そうしたらとあるルートから臨時収入が。

 

価値がある私には当然のことだなーと思いながらも、こんなにもわかりやすく現象が起きるものかね!?と半ばびっくりしております。

 

あと、価値があるなんて思えないって思ったとしても、ただただ認めたらいいんだとも思います。

 

博物館の館長に「この黒い石は世界一価値があるんだよ」って急に見せられても、そうなのかーで終わりますよね。

言われたから急に心臓がバクバクしてワクワクしてすげぇぇって興奮するわけじゃないですよね。
価値あるんだな、いいな、貴重なんだなーで終わりでもいいんです。

 

そうしたら急に世界の富豪なんかがその黒い石を探してるらしいとか、黒い石に触れたら幸運が舞い込んできたらしいとか、そういったニュースを耳にして価値を実感し始めるかもしれませんが。

 

とにかくあなたには価値があるんです。

最近の自愛メモ

スムーズに自愛できないなら、受け取れないなら、まずは自分に謝ってみる。

今まで私のこと蔑ろにしててごめんね。って。

こんな風に扱ってしまってごめんね。って。

 

それから私のこと愛してるよ・大事にしてるよって愛してあげる。

 

そんな言葉は響かないなって時は響かないし受け取れない自分を認める。

響かなくても、受け取れなくてもいいよって。

 

素敵だと思えなくてもいいよって。

本当は素敵だと思えなくても十分素敵なの。

 

あとはエゴ思考を認めてあげる。

特に悲しい時、怒っている時、そんな風に思ってはダメだ、と否定するではなく

悲しいよね、うざいよね、ありえないよね!ってもう感情丸出しにしてそれをそのまま肯定(受け入れる)

 

誰にも読ませない日記として、普通にもう感情丸出しで書いて、

でも、不足は存在しないのだから、こんな不当な事実は受け取れない、不当な扱いなんか受けてたまるか!で締める。

 

そうするとエゴの気持ちもスッキリ。

(思ったことを否定されるのは嫌でしょう?思ったことは思ったこととして別に肯定して良い)

ただし、その全てが現実で、一生続くのではないか、とどんどん暗くなっているところで

本当の視点に立つ。

そんな不足は存在しないのだから、大丈夫だと。

 

そして感情丸出しの私かわいいな。って認めてあげる。

こんな文字書いてるのもかわいいな。画面に映る私も可愛いなって。

 

叶ったこと?ベースで話すと、

昨日、自分が「不当な扱いだと思っていたこと」を
今日、相手から別の角度で提案してもらえた、かな。

 

結果、今は「不当な扱いではなくなった」かな。

 

思い違いだった、ということではないけれど、詫びの虎や羊羹もあることだしまぁいいか〜って感じです。

自分のこと大切にしてあげたら世界からも大切にしてもらえたよ。

 

不安が浮かんだら、その現実は経験しないと決めること

108さんのメソッドだと思います。

ただ決める、だけ。

 

何を決めるか?なりたい自分や状況を決めたらいいのだと思います。

もちろん今より良い状況をイメージして決定してもいいと思うのですが、

自分の思考が作り出している嫌な状況を経験しないと決めることも大切だなぁと思ったので覚書です。

 

「私は〜を経験しない」
(私は8月には誘いに乗らない!とか)

 

最終目標は心が軽くあること=幸せであること、だと思うので

心が重くなる不安事が思い浮かんできたら、それをただただ経験しませんと決めるのがいいのだと思います。

 

決めたって不安な気持ちは浮かんでくるよ、という方もいらっしゃると思います。

私も湧いてくる思考も感情もコントロールはできません。

経験しないって決めたけど、でもやっぱり誘いの連絡が来ていつの間にか行かなきゃいけなくなったらどうしよう、、うう嫌だ、、、

ぐらいのことは全然浮かんできます。

 

それとは関係なく、不安だけど、でも経験しないって決めたしなー。

というスタンスでいます。

そうすると、その不安が浮かんだとしても、その次のストーリーは浮かびにくくなるかと思います。

 

所謂「二念を継がない」ということかもしれませんが、

最初の一念も自分の思考が作り出したものです。一念も経験したくないのなら経験しないと決め、そこから作り出される更なる嫌な思考や感情には一切触れないようにする。

 

そうやってキッパリと決めて、経験することを運や現実に委ねないで、

自分に委ねる。最終決定権は自分にあるのだ、と権限を自分に戻す。

 

自愛の一種でもありますね。

 

そうして少し経つと落ち着いてきて、

ああまた自分の思考が変な現実を作っていただけか、まやかしだ、、、と気づいてきますね。