toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

罪悪感は厄介だが、心地よい方に進むしかないのだ

他人事であれば

罪悪感は持たなくてもいいし、持ってもいい、好きに考えれば?

と思えるのだが、『自分ごと』として考えるとどうにも手放せないでいる。

 

手放さなくてもいい、と思っても

その罪悪感を感じている限り、Aという選択肢は選び難く、Bという選択肢を選んでしまう。

 

と、最近まで悩んでいた。

が、もしかしたら自分の本心ではBという選択肢を選びたく、その建前として罪悪感を引き合いに出しているのではないか、と思えてきた。

 

実は、Aを選択するよりBを選択したい!と自身の周りに直接的に示すことの方に抵抗を感じており、罪悪感があるからBを選ばざるを得ないのだ、とあたかも悲劇のヒロインぶることで

真に抱いていた願望のBという選択肢を選べているのかもしれない、と。

 

また、このように裏の裏を考える、みたいなことをしなくても

結果的に自分が心地よい選択をする、という意味では

罪悪感を抱いた状態でAを選ぶのか

罪悪感を抱かず解放された気持ちでBを選ぶのか、では

Bの方が結果的に心地よい方に進めるのではないか。

 

そう考えた時に、なるほどそうかもな、と思えればBの道を選べば良いし、

いや、そうは思わない、罪悪感を感じようともAを選択したいんだ、と思えれば

Aを選べば正解だ。

 

何かに迷ってしまった時はここくらいまで自分の本心を深掘りして、楽に選べる道に行けばいいかもしれない。

どちらを選んでも一緒かもしれないし、悩んでる間にCという選択肢が出てきてあっという間に解決してしまうかもしれない。

 

人生を振り返ってみると、

短期的にみて失敗だったな、と思うことがあっても長期的にみて失敗だったと思うことがない。結局いつもどの選択肢でも完璧だし、満足できるのかもしれない。

 

大きな失敗だったが、結果的によかったな、ということで思い出すのは大学受験だ。

前期で第一希望の大学を落ちてしまい、絶望の淵に立ったが、なんとか後期で拾ってくれた(が、一度も足を運んだことのない)大学へ仕方なく進んだ。

通学は2時間かかるので、朝も夜も辛く前期で落ちた、というコンプレックスを抱えていたのでなんとなく大学にそこまで好感を持てずにいた。

が、その大学では学生のうちにやりたかったことである、海外留学が実現できたのである。

 

オーストラリアへの交換留学での募集人数はたったの1人であったが、

理系である身でありながら、なぜか採用してもらえ、1年間の留学を実現することができた。

 

他の大学に進んでいた場合にどうなっていたかなどのパラレルを考えても仕方ないので、

ここはただ純粋にこちらの大学に入ったからこそ上手い具合に留学に行くことができたのだな、と思った。

留学への原動力も、受験に落ちたからこそ(ここではto自分や家族への罪悪感があった)、

これだけは実現したい!との思いがより一層強くなり突き動かされたものがあるのかもしれない。

 

長々と振り返ってしまったが、

罪悪感は厄介だが、どちらを選んでも完璧なのだから

とにかくその場で心地よい方に進んで仕舞えばいい、と納得してみた。