今この瞬間を生きて、今この瞬間心地よくて幸せな気分でいればいいのだと
そんな当たり前なことにようやく気づいた。
先日のブログにダラダラと書いたことも、世の中でするといいと言われていることも(感謝をするといいよ、自分を大切に生きるといいよ、心地よい想像をするといいよ、ワクワクすることだけしてたらいいよ、ノートに書いたら引き寄せるよ)
全部、今この瞬間を心地よく生きるための方法の一つだったんだな、という気がした。
(感謝、というのは今この瞬間心地よいという感情とほぼ同時に湧いてくる、、)
十分恵まれているのに、まだあれが手に入ってない、現実化していない
などと不足感にわざわざ焦点を当てる必要はないのだった。
せっかくこの世に生を受けたのだからこの瞬間を生きたらいい、ただそれだけであった。
でもこの単純なことが腑に落ちるまで、なかなか長い道のりだった気がする。
私はネガティブ思考をしがちだったし、頭の中で悲劇のヒロイン劇場を繰り返したりしていた。気がする。たとえば学校で誰かがくすくす笑っていたらそれは自分のことを笑っているのじゃないか、と考えてしまっていたし、
小学生の頃から死にたいとよく考えていた。
人生に絶望して死にたいと思っていたわけではなくて、日々楽しいし幸せな家庭環境だったけど、いつか死ぬのにこの世で生きることに何の意味があるんだろう、、という無力感?で死にたいと言ってた気がする。
(小学生の娘がそんなこと言い出したら不安になるよなぁ。お母さんごめんね。)
仕事で一度人生史上最大に病み、(半鬱?)
ようやくホワイトな仕事に就き、時間や精神的に余裕ができ、
ここ数ヶ月、瞑想にハマり、今、この時間に集中する癖がついてきて
周りにあった情報に気づけるようになった気がする。
何だか気づいてからはむしろこう感じている。
今までも、いつもずっとそこにあったのに、自分が光を当てていなかったから気づけていなかった。
今はあてれるライトも大きいものになったし、少し身長も伸びたので見えるものが増えた、っていう感じ。
きっと今も隣にあって、でもまだ見えていないものもあるんだろうな、という気もするけど、これからまた見えるんだろうな、という謎の安心感もある。
とりあえずこれも手元の日記には軽く書いてたことなんだけど
日記帳はそのうち多分捨てるので、読み返せるように残しとこっと。
日記に書くといいのは全部文章じゃなくてもいいとこ。
文字と矢印だけとか、絵を描いたりして内面を表現できるとこ。
友達と語りある時も紙とペンを持ってたら楽しそう。