全力で思考停止しよう!
と意気込んでからも、しょっちゅういつのまにか思考していたり、自ら進んで思考していたり(これはいいのかな?)もした。
でもふと、望まない思考でぐるぐるしてるな、と気づいたら、削除して流してみたり、あぁ〜こんなこと考えて不安になってるな〜と観察する視点に立ってみたりした。
それでもどうしても嫌な思考に支配されそうになったら、快適なクーラー下にいるのではなく、
暑ーい部屋でぼーっとなってみたり、
筋トレやシャワーを浴びるなど身体にフォーカスを当てれるようなことをしてみたり、
気分が良くなる動画をみたりして、逃れてみた。(バラエティ系のYouTuberの動画だったり、潜在意識、内面にフォーカスした動画だと気が紛れた)
そして思考で不安がってることも本当は起こらないんじゃない?それらしく支配されてるかもだけど、エゴがもっともらしく言ってるだけ〜
もしそうなっちゃってももうどうでもいいじゃん〜
とある程度気が軽くなってから
今回不安になっていた要因の詳細を確認すると、なんてことなかった、のだ。
エゴが騒いでいた面倒なこともないし、なぜそれほどまでに気が重くなっていたのかも今ではわからなくなっている。
おそらく、『既に充足の中にいて既にある』のに、いらない思考が『既にあるを見ない』ように誘導させてしまっているだけだったのかなぁ〜と実感。
こういうのは何度も実感しているはずだけど、体感するたびに気づきが訪れる感じ。
量子力学の量子もつれの話と絡めると、望まない思考で 『既にあるを見ない』としてしまうと、連動する現実もそのように展開してしまう。
望まない思考でそのようにしなければ、現実は既にあるを映し出す。
内面が心地よくいれば連動する現実も心地よく展開していく。
気負う必要はないのだけど、現実に内面の有り様を決定させないのが大切だなと改めて実感した。
内面ファーストだから。