toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

行動不要で、最高な状況に流れていく

最近、『行動』しないとなぁ〜、と自分自身に焦りを感じていたことに気づいた。

 

焦っていたということは、『行動』できていなかったということだ。

 

でも、『行動』というのは不要で、自然と最高な流れになることを知っているから、それを思い出すために『行動』不要であったことをここに記しておこうと思う。

 

私が思う『行動』というのは、頑張ってやらなくては行けない『行動』だ。

行うことに自らを奮い立たせなかればいけず、ストレスを伴うものだ。エネルギーも消耗するし、何かを叶えるために、やらなければいけないのだ、と自分を追い込んで行うものだ。

また、一般的な生産性があると思われることも『行動』と感じる。

 

こうやって書くと、『行動』とは偉大なもののように感じるが、

お金を稼ぐために頑張って深夜2時まで働く、であったり、

恋人を作るために、頑張ってマッチングアプリのいいねやメッセージを送る、のような、

からしたいと思っているわけではないけど、目的地に到達するにはやらなくてはいけないよなぁと思うようなこと。

 

好きでやってる仕事でいつの間にか深夜になっちゃった。

気になる人とついついメッセージのやり取りを続けちゃってる。

みたいなものは私のイメージする『行動』ではない。

 

現実的に考えれば『行動』をしなければ人生は何も動かないじゃないか。と思いがちだが、どうやらそうでもないらしい。

なぜなら私の「願い」のような「最高な状態」が叶った時は特に『行動』していないからだ。

 

パートナーが欲しいけど『行動』することに疲れたから、適切なタイミングでなるようになるだろう、と『行動』しなくなったら、勝手にパートナーが現れたり、

憧れの人に会いたいけど、『行動』したくても都合もつかないから諦めて別の予定を組んだのに、結局予定がオジャンになってなぜか憧れの人に会いにいくことになったり、

友達や仲間が欲しいけど、自分からコンタクトを取ったりするのはなんだか抵抗があるから『行動』に移すのは諦めて居たら、向こうからお誘い頂くことが増えたり、

旅行に行きたくてパートナーを誘ったけど、難色を示されたので、具体的に日程を組んだり予約をする『行動』はもうしなくていいや、いけなくてもいいやと諦めていたら、向こうからホテルや飛行機の提案をしてもらえるようになったり、

 

こうなったらいいなぁと思っていたことは、自分から『行動』していないのに、どんどん叶っていく。

 

逆に『行動』しようとして、体の調子が悪いのに、頑張って働き続けていたら、大幅に体調を壊した。強制的に働けなくなってしまった。

その状態を治そうとして『行動』しようとしたが、(どちらかというと治さなきゃ!と自分を精神的に追い込んでいた)そうしている間は、一向に治らなかった。

もういいや、と『行動』を手放した途端、体が楽になっていった。

 

だから、現実世界では生産性のある『行動』が必要だ!とエゴが言ってきても、それが心から行いたいと思うわけでないのなら、その『行動』は不要。

ただし、『行動』をとらないと心が苦しい場合は『行動』してみたらいいと思う。

心が快である方を選んでいくのだ。