toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

ホ・オポノポノをしてみようと思った経緯

ホ・オポノポノをしてみようと思った経緯

 

前々からホ・オポノポノについてはなんとなく知っていて、以下の認識はあった。

 

何やら感情を込めなくても

「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」

と心の中で唱えるだけでいいらしい。

ハワイ語の英訳の日本語訳なので、若干ニュアンスが異なる部分もあるため、

日本人感覚では「ありがとう」や「愛しています」と唱えているだけでいいらしい

 

ほほう、本当にそんな簡単なことで?と半信半疑であったので、実践してみよう、と思うことはあまりなく、気が向いた時に浮かび上がってくる程度であった。

 

ところが、私がトラウマとしている彼の行動に直面した時、私は自然とあのホオポノポノの言葉を唱えていた。

その日の朝、彼が夜に口にはめていたマウスピースをキッチンのシンクで洗っていたので、

「できたら手洗い場で洗ってね」と優しく伝えた。(つもりである)

なぜならキッチンは食事を用意する場であり、口に運ぶものはできるだけ清潔な環境で用意したいからだ。洗って生のまま食べるサラダのことを考えると、なおさらキッチンはできるだけ綺麗に使って欲しく、歯磨きや手洗いうがいをする手洗い場でお願いしたい、という旨は前にも伝えていた。

ところが、その言葉を言った途端、彼がマウスピースをシンクに叩きつけ、近くにあったお皿も巻き込まれてシンクに落ち、その後ドラム練習台を蹴飛ばしたかと思うと、布団に突っ伏してブツブツ文句を半泣きになりながら言っていた。

一言言っただけで突然キレられ、暴れ出したのには恐怖を覚えたが、

それもなぜか自分=世界なのだからこれはもう一人の自分が悲しんでいるんだ、と思えてしまい、

突っ伏していた彼の背中を撫でながらごめんね、といい、心の中では

「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」と唱えていた。

 

今まで自然と湧き上がるように唱えたことがなかったので少しびっくりした。

それを唱えながら、一方では動揺し、一方ではすごく冷静になりその状況を見ていたように感じた。

 

その後、彼は出勤しなければいけないので、家を出て行った。

 

私は動揺して心がしんどくなっていたので、どうしようかなと思っていたところで、Xを開いていたら、たまたま相談受け付けます、とポストをしていた人を見つけたので、全く絡みのなかった人だが、上の状況を相談してみた。

相手を変えることはできないけれど、自分の意識が変われば色々変わるんだろうな、と思っていたので、直接対話して直してもらう、ということ以外でも何かできることがないか、むしろそうじゃないと何度も口に出すのも怖くてこれ以上一緒にいられない、と思ったのだ。

 

そこでその相談した人にもらったリプは、

「私も同じくらい泣き叫んでみるのはどうか、あとはホオポノポノをやってみる」だった。

 

前者は同じくらいエネルギーを出してぶつける、という意味なのだろうか、わからなかったが、私はその場ではまだ萎縮してしまって自分のエネルギーを発散することは難しいと感じていたので、じゃあ後者のホオポノポノをやってみよう、と思った。そういえばあの場で自分の内側からなんとなく湧き上がってきたのもホオポノポノの言葉だったな、と思い出した。

ネットでなんとなく仕入れた情報でやってみるだけでなく、一冊本も読んで本格的に取り組んでみようと思った。

 

実際のところ、やることは、前の記事にも書いた通り、難しいことをしなければいけないということもなく、基本的には言葉を唱えてクリーニングし続けるだけであった。

それが具体的に人や物に対してやることや、自分の内側に対してやってみるとか対象として認識するものが異なる場合もあるが、自分=世界で、自分の認識で世界が展開されているのだという前提のもとだと、どの対象に向けてしても結局は同じことなのかなと感じている。

 

無駄にぐるぐる関係のない思考に囚われてしまうくらいなら、心地よい言葉を唱えようか、という安易な気持ちで唱えているのです。