日曜朝の7時頃、彼の携帯のアラームが鳴った。
ピピピピ‥!という頭をつんざくような慌ててために行くことを余儀なくされる音ではなく、どこかお店のエントランスで鳴っていてもおかしくない、爽やかな音楽だ。
それでも、その音を聴き続けながら再度眠りに落ちることができるような体質でもないので、仕方なく止めに起きた。
アラームに起こされずに9時くらいまで寝ていたかったというのが本音だが、うだうだして、二度寝はしなかった。
というのも、起きてみると案外起きていられるもので、若干の体のだるさを抱えながらもベッドサイドで紅茶を飲みながらのんびり彼とおしゃべりをしていた。
そのうち彼がお腹が空いてきたと言うので、冷蔵庫にヨーグルトがあるよと伝えた。
お腹が空いたのなら、さっと食べれるヨーグルトがあるからつまんでおいでよ。の意味で伝えたつもりで、私はまた布団に潜って休んでいた。
暫くすると彼が二つの小さなカップを持って現れた。小さくカットされたいちごがトッピングされた、ドライフルーツ入りのヨーグルトだ。
いちごの甘酸っぱさとヨーグルトのクリーミーな舌触りがなんとも美しく交わっていて、最近食べたデザートの中でダントツに美味しい、と感じた。
中にフルーツがたっぷりと入っていることが美味しさの秘訣だったのかもしれないが、私は何より、彼が作って持ってきてくれたヨーグルトだからこそ美味しく感じられ、丁寧に味わうことができたのだ。
自分で同じように作ったとしても、舌の上の味わいこそ同じかもしれないが、満足感は桁違いだろう。
お金では買えないものがある、とはこう言うことなんだろうな、と実感した。
それはやはり愛を通して感じる満足感、または愛そのものなのだなと感じた。
そしてそれは決して一人だと味わえないわけではないと思う。私がそう思ったのは、最近自分を疎かにしていたからだ。一人でも丁寧に作り、いちご農家さんや、いちごに感謝し、綺麗に盛り付けて、ゆっくり味わって食べる、そうやって自分自身を丁寧に行えばきっとあの満足感を味わうことができるだろう。
最近の私は、細かく切りもず、ヨーグルトの上にぽんっとイチゴを乗せてそのままサッと食べ終えてしまう。食べ終えて一言美味しかった〜。と感じて終わり。のように雑に過ごしてしまっていたからだ。
もっとお金を手にして、もっと安心と満足感で満たさなければ、、とどこか物質的価値に縛られていた自分にハッとし、各プロセスを疎かにし、それ自体をただの通過点とみなしておざなりにしていた自分を反省した。
と同時に、愛する人が愛の気持ちを持って作ってくれたヨーグルト、その行為にも気持ちにも物体にも、味わっているその瞬間にも感謝して、本当の満足感を味わうと言うことを経験させてくれた彼には本当に感謝している。