toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

自作小説の思い出

「読書」はするこそいいが、されるのは恥ずかしい。

 

小学生の頃、本を読むのが好きだった。

同じく本を読むのが好きな友だちがいて、その子は自分で物語を書いていた。

私も真似して小さなB5版のポケモンのノートに物語を書いていた。

友だちに見せるつもりもなく、自分のなかうちうち。密かに書いているものだった。

 

ところがある日、そのノートをリビングに置きっぱなしにしていたらしい。

朝起きて、リビングのテーブルの上にあるのを見つけると、

お母さんに気付かれないように急いで自分の部屋へ持っていって、勉強机にしまった。

 

さて、その日の夜、続きを書こうと思ってノートを広げると、

丁寧な字で赤ペンで添削されているではないか。

所々、漢字の間違いや、てにをは、の使い方が修正されていた。

 

この丁寧な文字はお父さんの文字だ。

昨日私がリビングのテーブルに置き忘れていたものを読まれたのだ。

私は恥ずかしさでいっぱいになった。

内容も不十分。まだ途中だし、自分でも満足の行く内容でもないのだ。

それを話の途中で読まれてしまった。

その上漢字や文法の間違いなんかを修正されているのだからたまったもんじゃない。

 

日記を読まれたわけではないが、その物語の主人公は自分と同じか少し上くらいの女の子。

ある意味自分の理想を投影しながら書いていたこともあって、

内心を見透かされてしまったようですごく恥ずかしかった。

 

「なにこれ。」と仏頂面でお父さんに聞くと、

こっちの気持ちはつゆ知らず、

「よくかけてるね。漢字間違っていたから直しておいたよ。」と笑顔で返される。

 

悪びれる素振りもない、実際勝手に読んで悪かったとは思っていなかったような、父親の様子を見て責める気にはなれなかった。

 

結局そのままノートを自室へ持ち帰り、勉強机の棚に押し込んだ。

それからそのノートへ物語の続きは書かれていない。今もなお、実家にある。

紅幸ちゃんの物語はまだ終わらない。