年に1回、三重の親戚の家から私の家へ、遊びにきてくれたおばあちゃん。
私が帰宅し、玄関のドアを開けると、「ただいま」というより前に、「おかえり」と迎えてくれたおばあちゃん。
おばあちゃんが遊びに来ると、一緒にダイヤモンド・ゲームをして、私が幼稚園児だった頃の送り迎えのエピソードを聞くのが定番だった。
幼稚園児の頃の話を聞くのは、ちょっぴり恥ずかしいのだけれども、
そんな私を見守ってくれたおばあちゃんの温かさが嬉しくて、
知っている話だけれど何度も繰り返し聞いたのだった。
そんなおばあちゃんが昨年春、突然入院した。
原因は指定難病にあたる癌が発見されたから。
しかも頭部に。
長くて2,3ヶ月だと医者は言った。
すぐにでも病院へ駆けつけたい思いでいっぱいだったが、
その頃はちょうど日本でコロナが流行し出した時期であった。
「何かあっては村八分。親戚の世間体も考慮してあげて」と母に言われ、
人の多い東京からの移動は憚られた。
容態が気になっていたので、病院で寝泊まりする母と毎日連絡を取り、おばあちゃんの状況を聞いていた。日に日に悪くなる物覚えの様子からも、頭部の癌の進行具合が伺えた。
そうしてタイミングを見計らい、やっとの思いで三重の病院へ向かうことができた。
教えられた病室へついてドアを開けると、そこにはパジャマの上からでもわかるほど痩せ細ったおばあちゃんがいた。手足に繋がれた太いチューブも、痛々しくて目も当てられなかった。
しかし、私の顔を見るなりおばあちゃんは
「せいなちゃんきてくれたん」と、
顔をくしゃくしゃにして、目をうるわせて、満面の愛顔を向けてくれた。
その愛顔につられ、おばあちゃんの容態を目の当たりにしてショックを受けた私の心も明るくなった。
顔を出しただけでこんなに嬉しく思ってくれるなら、もっと早く向かってあげればよかったと激しく悔やまれるほどだった。
それからほどなくして、おばあちゃんは他界した。
それでもおばあちゃんは私の中で生き続けている。
辛い時、寂しい時、おばあちゃんのあの愛顔を思い浮かべれば心がふっと軽くなる。
あの笑顔を思い出して今日も私は生きていきます。ありがとう。おばあちゃん