人混みを歩いていたら靴を踏まれることもある。
意図的に踏んでいるわけではないのかもしれない。第一、乗車時間の数分のうちに足を踏まれるほどの恨みを買った覚えもない。
しかし、私のサンダルの後部を踏みつけた男性のローファーシューズの圧力と、私の足が前に進もうとする推進力が合わさって、サンダルの紐が引きちぎれてしまった。
ごめん、と一言言い放って人混みに消えたおじさん。まさか人のサンダルが引きちぎれたとは思わなかったのかもしれない。
それがスペインでお母様に買ってもらった思い出の品だとは知らなかっただろう。
だから、ごめん、と一言言い放って雲隠れしてしまったのだ。
最近はすみませんやごめんなさいを言える日本人が少なくなってきたように感じるので、最低限の挨拶ができていたことは感心する。しかし、ことはごめんですまないのである。
私の物的思い出が一つ壊されてしまった。弁償はできない。もう一度スペインへ私とお母様を連れて行ってくれない限り、あのサンダルは戻ってこない。とても悲しくなった。
私は人からの贈り物が大好きで、自分で買ったものより誰かに貰ったものをよく身につける。そこには必ずその人との思い出があるからである。
無くしたくはないし大切にしたいけれど、使わないでしまっておく方がかえって勿体無く感じて、一緒に出かけるのである。
そうすると、ときおりこういったトラブルもあるかもしれない。靴なんて、いつかは汚れて履かなくなるかもしれない。そのいつかがきた、それだけのことと思おう。