toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

人を試すような悪い癖

癖。というと少々語弊があるかもしれない。

人を試すような悪い傾向がある。悪いかどうかもわからない。善と悪で考えれば悪の要素が強いかもしれない。

 

昔から人を心から信用することができなくて、信じていいかどうか確かめるために、ひたすらに突き放してしまうことがある。それは一種の自己防衛的行動でもある。

要は傷つきたくないのである。

突き放す、といっても相手を傷つけるようなことまではしていない。と思う。

自分から積極的に連絡を取らなかったり、適度なところで連絡を断ったり。また切り込んだ話題を出して(政治的や国際的な話題など)どこまで強く話しても聞いてもらえるかで距離感を図ったり。これに関して言えば、同調してもらえるかどうか、より議論をしてもらえるか、に重きを置いている。そんな少し扱いにくいような対応をしても、友達でいてくれるような優しい人に初めて心を許せる。このように考えるようになってしまったわけは中学校の頃に起こった出来事が原因であるが、今は書かない。

 

大袈裟に言えばこのようなことをして、人との距離感を測っておくのである。

何かことが起こって傷つく前に。

例えば、距離感を図って、向こうは知り合いと呼べる程度の付き合いだと考えているな、という認識をする。そう認識をしておけば、自分に対する接し方や対応に期待しなくていいし、予想通りの対応じゃないか、と納得することができる。

逆に、距離感を図っていないと過剰に期待して傷つくことがある。

 

社会人になってから知り合う人は、そもそも距離感を詰めた関係性になることがないので、突き放して試すようなことは少ないかもしれない。友達、というより同僚。たまたま同じ時期に同じ会社に所属していただけ。と割り切ることができる。

それでもやはり仲良くなる人は出てくるわけで、そうすると距離感を図って線引きをしたくなるのである。どこまで安心して自分を曝け出していいのか、どこまでこの人を信じていいのか、を考えてしまう。

 

そうしてそんなことをしても変わらない対応をしてくれる人には心底感謝の気持ちでいっぱいだ。もちろんその後の人間関係を悪化させるようなあからさまな対応をしている訳ではないので、ただ気づいていない、という可能性もあるが、それはそれでいいのだ。

結局は私の心の持ちようなのだから。