恋文、と言うほどの恋文をもらったことはないし、
書いたこともない。
彼氏にプレゼントを送る際に手紙を添える、その程度だったかもしれない。
けれど、時代を遡り、小学生の頃を思い出すと沢山恋文のやりとりをしていたことを思い出した。
当時好きだった男の子と、毎日手紙の交換をしていた。
当時は携帯電話を持っていなかったので、お互いのプライベートなやりとりをする手段は手紙しかなかったのだ。
メモ帳やノートの切れ端に手紙を綴って、封筒に入れて学校へ持っていった。
大抵「おわりの会」でさようならをして、みんながランドセルを背負って教室から出ていくタイミングで封筒を交換した。
こっそり渡したとしてもどこかで誰かに見られてしまう、と小学生ながら警戒していたらしく、その茶封筒にでかでかと『PTAの件』と書き、工作を施した。
そうして白々しく、
「これ、お母さんが吉川くんのお母さんに渡してって言ってた。」
と言いながら堂々と渡したものだ。
もちろん子供の書いた文字だし、
そう毎日母親同士がPTAの件について意見交換するわけもないので、周りにバレていたと思う。
実際、卒業式の日に、吉川くんを好きなんでしょう、毎日手紙のやり取りしているし、と女友達に指摘されてしまった。
最も、その子はとてもボーイッシュな子だったので、恋する女の子のイメージがなかったが、
同じく吉川くんのことが好きだったようで、バレていた驚きよりもそちらの驚きの方が大きかった。
その後、私と吉川くんとはそれぞれ別の中学へ進んだため、
それ以来しばらく会うこともなく、私たちの恋愛はそれ以上発展することもなかった。
それでも毎年、お互いの誕生日にはメールを送りあった。
連絡はたまにするけれど、もう会うことはないんだろうな、と思っていたが、
大学生になって時間も取れそうだし、久しぶりに会おうということになった。
吉川くんの見た目は小学校の頃から変わっていなかったが、やはり男の子、背が伸びて前よりもかっこよくなっていた。
ひとしきりお互いの長い近況報告をした後、
吉川くんは思い出したようにカバンをガサゴソと漁った。
そうして吉川くんが持ってきたのが、あの時の恋文だった。
もう10年も経つ手紙を未だに残してくれているとは、と感激した。
吉川くんの持っている手紙は当然私が書いたものだが、
大人になってから子供の頃の恋文を読み返すと、恥ずかしい。を通り越して小学生の自分がなんだかとても愛らしく思えた。
好きが全面的に溢れた文面、デートの約束、「プリクラ」というワードを他の人に聞かれたくないから「クラッシュ」と呼ぼう、などの謎の隠語。
もし今こんな手紙をもらえたなら、それはすごく嬉しいかもしれないな、と感じた。
私の方は残念ながら引っ越しのタイミングで全ての恋文を捨ててしまったらしく、
何1つ手元に残っていない。
それでもなんとなく、あの時の手紙のサイズ、罫線の色、吉川くんの文字は覚えている。
小学生の記憶力と大人の記憶力を比べること自体フェアではないかもしれないけれど、
LINEの文章なんて言うのはほとんど記憶に残っていない。
大学の時に付き合っていた彼氏とのやり取りも、雰囲気だけは覚えているけれど、やはりあの恋文ほど現物ベースでは覚えられていないのである。