toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

痛いのが気持ちいいのは痛覚の不調なのか

この記事を書いている今現在、私は腹痛に苦しんでいる。

 

餃子を焼いた時の油を敷きすぎたのか、餃子が生焼けだったのか、ご飯を食べすぎたからか、

何が原因かわからないが、食後少し経つと徐々にお腹が痛くなってきた。

 

あったかいものでも飲もうと思い餡子を作るために茹でていたあずき湯を飲んだが治らない。

むしろ痛みは増す一方でいよいよ座っていられなくなり、こうして横になってパソコンに向かい記事を書いているわけだ。

 

痛みのレベルで言うと今年感じたどんな痛みよりも痛い。

おなかがきゅうとねじり絞られている感じだ。

それでいてトイレに駆け込む、と言った痛みでもないためやるせない。

嵐が過ぎるのをじっとじっと黙って待つしかないのかもしれない。

 

ただ、ここで不思議なのが、痛いと言う感情に気持ちいいと言う感情が少し混ざっていることだ。93%痛さで苦しんでいるのだが残りの7%はある意味この痛みを楽しんでいるように感じる。もちろん痛いので早く通常の状態に戻りたいのだが、なんとも不思議な感情だ。

 

身体的に感じる気持ちいいは、

マッサージをしてもらって気持ちいい、

性的な快楽の気持ちいい、があると思うのだが、どちらの感情でもない。

第三の気持ちいいなのだ。痛すぎて脳がアドレナリンを出しているのではないか、と言うのが今の私の説だ。決して変態だとか頭がおかしいとかそう言うのではないはずなのだ。

もしくは痛覚の閾値が変わっているか。

 

痛気持ちいいと言うのは少し痛いけど気持ちよさが勝っている状態だと思うが、

痛さが勝っている今の状態は気持ちい痛いになるのだろうか。

気持ち痛いって響きとしては全然痛くなさそうだ。

 

とにかく痛くてじっともしていられないが、何もしていられない。変な小説のプロットを書いたせいで主人公から怒られてしまったかもしれない。いや、きっと食い意地がはっていたせいだ。ごめんなさい。よく焼いてよく噛んで食べましょう。