何かをしていても今に気づいていられる。気がしてきた。
思考したり、何か読み物をしていてもその状況に気づいていられる気がする。
前までは一種の瞑想状態(思考を意図的に止めれている瞬間)じゃないと、その瞬間に気づけなかった気がするのだが、今は何かをしていても何かをしている自分に気づけるようになってきた(空間に捉えることができるようになった気がする。)
ただし、今この瞬間に気づいていられない、気づいていないが目の前のことに全力集中している時も多々ある。特に、他人と話している時、動画配信とかに見入ってる時。リアルタイムに反応しちゃう時、なのかな?
その状況に99%集中しているという感じの時は、楽しむことに全力投球しているから、気付けているなー(気付けていたな)とは思えない・感じれないかも知れない。
が、そんな過去のことは分析したってほとんど意味がないんだろうな、という気がする。今しかないので、今分析して記入している空間に気づいていたらいいのかも。
今に気づいているというのは、その状況の自分に気づいている、ということなのだが、思考で認識できているというよりかは、空間として把握できている、という感じかな。
文字として書くと以下のように書くしかないのだけど、
・あぁ今文字をタイプしているなぁ〜
・あぁ、今記事を読んでいるなぁ〜
この思考(文章、文字)として何かを捉えられているのではなく(むしろそれは全くできない)そういう状況があるなと瞬間的に見ているだけ、というか、、
これが今に在る・今に気付いているということなのだろうか、、?
今思考しているな(と、思考する)
という状況に気づいている(空間的に把握しているだけ、分析とかはできない)
というような感じ。
マリオになりきってもいいし、マリオを動かしているプレイヤー目線でマリオがやっていることとかその瞬間を捉えてもいいし、、
マリオになりきっているのに、
目の前のクリボーを倒すことではなく、ピーチ姫が今どこにいるのか不安に思ったり、さっきのキノコ食べときゃよかったと後悔していることが一番もったいない過ごし方だよね。
マリオを動かしているプレイヤーであることを思い出したら、
ピーチ姫を救い出せることは確信しているから不安にならないし、キノコもすぐに別のキノコが食べれることがわかるから不安にならないし、キノコなくてもなんとかなるとわかってるし、、ね、、