全面的に信頼することの心地よさ
ふと、
あぁ、もういいや、自分自身に任せよう、完全に、全面的に信頼するわ。
と思った瞬間があった。
その時、脳内がパカーンと二つに割れて広がっていくとともに、全能感に近い圧倒的安心感を感じた。
信頼された側の自分自身の感覚を言葉で表すとしたら
「やっと任せてくれるんだね、ありがとー!任せて〜」と言って封印されていたランプから出て自由に空を泳いでる龍みたいなイメージ。
一体この安心感が、どちらのものなのか?
任せちゃった自分の方か、任された自分自身の方か、、と考えたが、両方自分なのだからどちらの感覚も合っているな、と。
その時はただただその心地よさに浸っていたのだが、
ふと振り返って、私は他人を全面的に信頼する、ということがなかなかできない性格だったかもと思った。
多分それは自分に対しても同じで、自分に対してもどこか全面的には信頼できないということがあったと思う。
そうなったきっかけとして、いわゆる友達の裏切りという大きなトラウマが挙げられるのだが、それを経験する以前にも何か感じていたのかも知れないし、また、そういう疑念があったからそういう事実を経験したのかも知れない。たまごが先かにわとりが先かの次元である。
とにかく、私は自分に近しければ近しいほどその人に対する信頼が全面的なものではなく、どこかに疑念や不安を抱えていたし、
自分に近しくない人はハナから信用していなかった。
まぁ期待を裏切られた時に自分が傷つかないようにする、予防線である。
それがデフォルトで生きてきたので、別にその観念について今までなんとも思っていなかったし、予防線を予め貼っていたから、傷つかないよーだ、という変な強がり精神で生きていたのかも知れない。
が、今回、ふと、瞑想中に、(半分思考が入り混じった状態だったかも)
自分自身を全面的に信頼するよーーと思うと
ぶわぁぁと安心感が広がったので、とにかくこの体験を記入して残しておきたかった。
一体何に対して、どういう時に、とか具体的なものは浮かび上がらないのだが、
とにかくこの安心感はすごくありがたいので、このまま以前に戻らないようにちょっとばかし慎重に生きてみようと思う。
それが安定したら他人への態度も変わってくるかも知れない。自分=世界=他人的な感覚で捉えると、そうなるかも知れない。
心地よさをありがとう。