年末年始実家に帰り、過去の作品集の整理をしていた。
弟の日記帳(おそらく小学校の宿題であったみたい)を発見し、読んだところ、可愛い可愛い。
可愛さが溢れ出ていた。
日記の初めの一行はタイトルになっているようで、「○○に行ったよ!!」とか「つきゆび」とか簡潔に日記の内容が表されていた。
その後日記がスタートするが、自分用では無くて先生に見せる前提であるからか、
文章も説明がしっかりと混じっていて読みやすい。
わたしが自分用につけている日記だとしたら、
『誰々と何処どこに行って〇〇をして楽しかった!』と、何処の誰かも書かないし、〇〇の詳細も書かず、やったこと記録程度にしか書いてないと思う。
が、どういう関係性の誰と何をしたか。何をする際の詳細はどんなだったか。をデスマス調で書いているのがすごく健気で可愛いなと思った。
文章なんてもう誰かに添削されることもないし、心の赴くままに書いてしまえ〜、他者目線を意識するなんてストレスじゃあ〜
と思っていたが、
もしかしたら他者目線を意識して書いてみたらかえって自分が満足する文章が書けるかもしれない。
などと思った。
また、小学生の日記帳は縦書きのノートだったのでそれもまた可愛い。縦書きの少し小さめ(B6?)のノート。
小学生用のでいいから私も縦書きで書いてみようかな。あの頃の、毎日が新鮮で楽しくて生き生きとしていた感じを取り戻したい。
生活形態がそもそも違うから小学生と今とじゃ感じ方が違うのかな、と思っていたが
今の社会人的精神で小学生と同じ生活をしても最初こそ楽しいけど結局毎日似たようなことやってるな、、と思ってしまう気がする。
そうじゃ無くて今日は何かとっても楽しいことが起こる、もう今それを体感してるんだっ!
というわくわくした心持ちで生きることが大切なのではないだろうか。