toimichi’s diary

思考の整理、のち、趣味

一見不足に見えること、実は好きだったんじゃない?

不足というのは、充足の反対だ。

不足が好きなんてありえない、充足に包まれていたい!と思うのだが

ふと、外国人の人がバスでSuicaで簡単に支払いを済ませている様子を見て思った。

 

あーあ、

外国に行って、チケットの買い方とか分からなくて、右往左往する。そこで自分で調べたり、現地の人とやりとりしてなんとかチケットをゲットして移動する。これが醍醐味なのになぁ〜

と。

 

この醍醐味としている部分、合理性だけを考えれば不足と言われても仕方ないかもしれない。そんなのアプリに入金しておいてパッとかざすだけでよかったら楽だしストレスないし時間もかからないよ!と。

しかしこの件は私のような見方をすれば、醍醐味という旨味、充足とも取れるのである。

 

どこでもドアがあればなぁ〜すぐに移動できるのに、こんな長距離移動嫌だ、、と思うこともあるが、不足だと決めつけず、旅の醍醐味かもしれないな?という目線で見てもいいのかもしれない。

まぁ、体調が良くない時は醍醐味云々という余裕はないのだが、そういう時は周りの人が優しいとか自分第一に動けるとか美味しいもの気にせず食べれるとか、そういう不調の醍醐味を味わってみてもいいかもしれない。

 

面白いのは、

これが嫌だ〜→あれ、案外悪くないな、どっちでもいいかな

と思考の転換ができた時、自分にとって最善の道が開けることだ。1案が良かったけど、2案でも案外悪くないと思えたからどっちでもいいや〜と思うと受け入れたのに、自分が一番心地よい道に誘導されたりする。

 

醍醐味に変換やってみる価値はあるかもしれない。